ライカと周辺減光

ライカと周辺減光

無意識に良い写真だなと感じるものに共通するのは何か。それを辿っていくと周辺減光のある写真だった。周辺減光とは何なのか?なぜ人は惹きつけられるのか、探っていこうと思う。

周辺減光とは

周辺減光とは

まずは簡単に周辺減光について説明しよう。周辺減光は周辺光量落ち、ヴィネット、トンネル効果などいろいろな呼ばれ方をするが、写真の四隅が中心部よりも暗くなっている現象だ。

周辺減光が起こる原因

周辺減光が起こる原因は、ざっくりいうとレンズを通った光がセンサーの隅まで均等に届かないために起こる。

周辺減光が起こりやすい条件

周辺減光が起こりやすい条件としてはいくつかあり、まずは絞りが開放付近であること。あとは構造の問題で広角レンズで起こりやすい。またセンサーサイズがフルサイズであればより起こりやすくなっている。

周辺減光と写真

冒頭で無意識に惹きつけられる写真にはなぜか共通して周辺減光があった話をした。これにはエピソードがある。

昔ライカで撮られた写真の一部に異様に惹かれることがあった。自分の中でこれらを「ライカ的」と勝手にラベリングし、「ライカ的な写真」とは何か、大量の写真を眺めながら考えていた。

なんだかライカっぽいな、と思われる写真を見かけても、そのときはまだそれがなぜライカぽいと感じるのかは上手く言葉にできなかった。そのときぼんやりと感じていたのは、「全体が鮮明に写りすぎていないこと」と「何だかモヤっとしている何かが写っていること」だった。

それから何年か経って、スーパーアンギュロン21mmで撮影した自分の写真を見ていたときに「あれ、これって昔自分が感じていたライカ的な写真だよな」と、ふと思った。

スーパーアンギュロンは言うまでもなくライカの中でも5本の指に入りそうなほどの銘玉だし、けっこう適当にとっても雰囲気のある画が出やすいレンズだ。

そしてこのレンズの最も大きな特徴が周辺光量落ちが激しいということ。例えばこの写真を見て欲しい。

ライカと周辺減光

ライカと周辺減光

ライカと周辺減光

四隅が非常に暗く、ほぼ完全に落ち込んでしまっている。現実を忠実に出力する写真画像としてはダメダメな描写かもしれないが、私は今でもこういった写真にすごく魅せられてしまう。これはなぜなのだろう。そしてなぜこれをライカ的と感じてしまうのか考えた。

周辺減光がもたらす原理と意味

では周辺減光があればライカ的なのか?残念ながらそんな安直な話でもなさそうだ。そもそも写真における周辺減光がもたらす効果は何なのだろうか。よく言われるのはこの二つ。

1. 視線が被写体(中央)に誘導されるトンネル効果

2. 雰囲気が出る

1はわかりやすいと思う。周辺減光によって画面が撮りたいものにフォーカスされるので、意図が明確に伝わるということだ。逆に言うと、撮りたいものがぼんやりしているのに周辺減光があるとよくわからない写真になってしまう。

問題は2の雰囲気。雰囲気とは何だろう。曖昧な表現だ。
私なりに答えを出すと、これは「写真的」な表現なのではないかということ。

「写真的」な表現というのは、例えばアレ、ブレ、ボケなど、現実には存在せず写真だけが持つ表現のことだ。

例えば50mmのレンズ開放で撮ったときに写真に周辺減光が出たとして、現実内で切り取る四隅が実際に暗くなっているわけではない。そして人は周辺減光によってその写真は良い雰囲気だなと感じる(ことが多い)。

これは、現実を写真に変換する際に周辺減光という「写真的」表現を加えることで、強制的に「写真的」にしているのだ。いわば「おめかし」をしているわけである。ちょっとズルい演出だ。

そうか、周辺減光はおめかししてるんだな。なるほど、だから良い写真に見えたんだな、と、ここで終わるはずだった。しかし更なる疑問が湧き上がってきた。

人の視界とカメラ、写真の連続性

写真を撮るときにいったいどれだけの人が自分の物理的視界を入念に把握しているだろうか。私はよくぼーっと外を見つめては視界の認知の不思議さについて考える。

例えば200mmくらいの望遠的な眼で遠くを見つめているとき、人間の眼は同時に超広角の視野も供えている。実際にこれは試してみて欲しいのだが、遠くのものをみつめながら顔の近くで手を動かすと手が動くのが見えるはずだ。こういったことは写真では写すことができない。

つまり視界を写真に置き換える際には構造上の大きな喪失があり、それを埋めるために私たちはカメラやレンズを取っ替え引っ替えしている。そして写真経験を積み、何とか視界の体験を写真に焼き付けられないか四苦八苦している。

しかしながらこういった認識のズレや、現実と視覚の問題などは、写真の分野というより芸術、または美術の分野で語られるべきだと思うのでここでは割愛する。

で、本題に戻って、実際に見えている視界の全体を意識的に知覚してみる。あなたの目はどんな風に見えているだろうか。私の場合、中央よりも四隅は明らかに暗い、と感じる。これは「周辺減光」ではないだろうか?

眼の構造にはあまり詳しくないが、人はあくまで眼球の中央でモノを見ているはずだ。常に視界の四隅だけでモノを見ている人なんていない。普段は意識できないレベルなのだろうが、見えている中央部分は四隅と比べて相対的に明るく見えているのだ。

つまり先ほど「周辺減光は写真的な表現だ」と言ったが、実際は人の目の見え方に近い「写実的」な表現なのでは?という仮説が立つ。

これがもし本当だとすると、周辺減光がある写真こそが現実の目の見え方に近く、より視界を上手に写真に変換できている、と言っていい。

ライカと周辺減光

冒頭でライカ的だと感じる要素に、「全体が鮮明に写りすぎていないこと」と「何だかモヤっとしている何かが写っていること」を上げたが、これは、モヤっとしている=鮮明ではない、つまり有機的な眼の歪みや構造上の問題が写真に擬似的に表れていることではないかと考えるようになった。つまり目の周辺減光である。

もう一度スーパーアンギュロンの画像を見てみよう。

ライカと周辺減光

長い間目を閉じてから目を見開いた瞬間に写ったような映像だ。

科学的、光学的なアプローチは別にして、「良い写真」とは「実際に見た感覚に近く写っている写真」だと言われることがある。

ライカは写りすぎないところが良い、と昔から個人的に思っていたが、こういった仕組みの上に周辺減光が大きく作用しているのでは?と今では考えている。

ただ周囲が暗いだけとよく思われる周辺減光だが、こんなに深く関わっていると考えると写真というのはつくづく面白い。

周辺減光が出やすいライカのレンズ

周辺減光が出やすいライカレンズもいくつか上げておこう。これまで説明した理屈からするとこれらのレンズは良いレンズ、だと思っている。

Super Angulon 21mm f3.4

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Summaron 28mm f5.6

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Summilux 35mm f1.4 ASPH.

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Summilux 50mm f1.4 ASPH.

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Noctilux 50mm f1.0

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周辺減光の補正方法

しかし写真表現のテイストや方向性によってはこの周辺減光が邪魔することもあるだろう。こういったとき下記の方法で一般的に周辺減光は補正することができる。

  • 絞りを絞る
  • 現像ソフトで補正する
  • カメラ側で補正設定する

周辺減光を入れるか入れないか、意識的に選択することが大事だと思っている。

ライカと周辺減光のまとめ

ライカと周辺減光について語ってきた。これまで何となく「ただ四隅が暗いだけでしょ」と認識していた人も捉え方が変わったのではないだろうか。もし本質的な写真表現に興味がある人は、写真における視覚や知覚、見え方との結びつきを一度深く考えてみても良いかもしれない。

X(@soyumn)やってます。
ライカで撮った写真やライカ関連ツイートを日々更新中。

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